何でもない日だけど、それでもいい

欠損男子の思うところ

写真素材のピクスタ

ポメラに貼ったキートップシールを、せっせと剥がす

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あの時、なぜポメラを買ったのか

もう何ヶ月前になるだろうか。

ブログを始めようと、なんか格好いいかも?と思ってポメラを買った。

MacBookAirがあるにも関わらず、ただ、物欲を満たすだけのために買ったような気がする。

そしてこのポメラには、ATOKが入っていたので、わずかな期待もあったのだ。

 

片手でのタイピング

ローマ字入力の場合、ホームポジション(定位置)は普通左手の人差し指がFになり、右手の人差し指の位置はJになる。と思う。

で、自分の場合は左手だけで打つ。

左手は同じく人差し指がFになるんだけど、右側のキーを打つ場合は左手をそのまま右側に移して、薬指がJになる。

それで打っていると、多分両手が使える人の半分以下のスピードになるだろう。

 

でも、ATOKにはキーをカスタマイズする機能があって、片手での生活が始まって以降、その機能にはずいぶんと助けられた。

例えば右側に左手を移動した後「あ」を入力したいと思ったら、左側に戻らなくてはならない。

これをしなくてもいいように、キーカスタマイズで「LL」を「あ」に変更してるのだ。

こんな風に「母音」を右側と左側の、あまり使わない組み合わせで打てるようにカスタマイズしている。

全部は書いてられないけど、「PL」を「ぱ」に、「RR」を「お」に、「ZZ」を「ん」にしたりなど。

こんな感じで左手の、左右への移動回数を減らしていった。これでスピードは少し上がって、打ちやすくもなった。

でもこれをやっても、両手が使える人にはまだまだ及ばないスピードだけど。

 

新しい入力方法

ポメラを手に入れて最初に調べたのは、そのキーカスタマイズ機能が入っているかどうかだ。

もちろん買う前に知りたかったんだけど、そこまではどこにも書いてなかった。(書いてない時点でないんだろうなと薄々は感じてたんだけどね……)

そしてやっぱり、キーカスタマイズ機能は入ってなかった。

でもこれにはシールが付属していて、親指シフトっていう打ち方に変更できるものだった。

これでもう少し早くなるかもしれない。

そう思って心機一転、キートップにシールを貼り、早速それでブログを書いたような気がする。

めちゃくちゃ時間がかかった。当然ながら。

で、これも練習していけば覚えるんだろうけど、ブログ書くのもそんなにマメじゃないこともあり、ポメラはそうそうとお蔵入りしてしまった。

もう今ではiPhoneでも長文打てるしね。(ちなみにiPhoneにもATOKを入れてるわ。好きだねー)

 

片手でのタイピング、親指シフトが有効って勘違いしてないか?

なんでかな。何かをきっかけに考え出した。

親指シフトの打ち方って、片手で有利に働くのか?

いや、カスタマイズしないローマ字入力でも似たようなものじゃないのか?

あれ?親指シフトじゃなくて、かな入力が有効じゃないのか?

 

という考えに至ったわけです。今になって。

そして、ポメラを取り出し設定を見ても親指シフトを戻す項目は当然あるんだけど、「かな入力」にする項目が見当たらない。

ないのか…ないのか…

しょうがなくとりあえず、親指シフト用のキートップシールを剥がしていく。

ちょっといびつに貼った箇所もあり、スッキリする。

 

………あれ?

シールを剥がして出てきたキーには、かな入力用の文字が印字されてるじゃないか。

そうだ、そうだった。普通に元からかな入力はあるんだった。

 

というわけで、親指シフトの「後退」シールを見ながら「なんだよ後退って、BSって書けよ」とか八つ当たり独り言を言ってシールを剥がしていく。

 

これからは、かな入力を試してみよう。

そしてこれが早く打てるようなら、ATOKのキーカスタマイズ機能を卒業出来るかもしれないんだから!

豊かな生活、豊かな人生とは何なのか

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みんなで協力し合えば生きていける時代

人間が生きていく中で役割を作り、それがいつの間にか決まりになって、当たり前になっていく。

最初は器用な人が、頭のいい人が、力の強い人が、それぞれ役割を考えたのかもしれない。

でも食糧確保が優先の生きていくのが精一杯だった時代は、その役割の中でリスクの高いものは自分から選ばないだろう。

最初はちょっと力の強いやつが、自分じゃやりたくない事を脅迫まがいで指示したのかもしれない。

この役割決めはおかしい、やりたくない。って異を唱える人が出てきては、役割を組み立て直すこともあっただろう。

 

やることやること、めんどくさくなってきた時代

今は時々ニュースになるように、その人間が担っていた役割の割合をどんどん機械に任せていくようになってきた。

これは今に始まったことじゃなく、人間の歯や指や手や足の代わりに、道具として石や縄や木とかを使ってきた。

それが徐々に考えて判断する領域まで、人間以外に任せるようになってきた。

 

お金を選別して飲み物を売る自動販売機なんて、人がレジ打つコンビニより最先端じゃないか。

あとは工業用ロボットで自動化だったり、なんだったり……。

 

いつの間にか、なくなっていっても困らない物

こんな風に、みんな便利な世の中にしていこうとするけど、そうすることで人間同士、役割分担して協力し合うものが減っているってことなんだね。

それどころか人と接したりすること自体が、面倒に思う人も結構多くなってきていると思う。

なんたって自分は、コーヒー買うのにコンビニに入るのが何か嫌で、自動販売機を探してしまうところがある。

(でもこのコーヒーに限っては、コンビニコーヒーが最近美味しくなっちゃったから、たまに我慢して入ることがある)

 

豊かな生活や人生は自分の主観でいいじゃないか

仕事して給料もらって、それに見合う生活していけば、生きていけるんだよね。

「T○ード、持ってないです」って言うくらいで、「レジ袋お願いします」って言うくらいで生きていける。

まあ仕事上、人と関わらなきゃいけないこともあるだろうけど、それもネットでやりとりだけで回る仕事も、今後増えていくし。

 

ただ、近隣住民との挨拶は、やっぱしといた方がいいと思うよ。

ってね。

人を使うということは、自分を使うということ

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リーダーになりたい人、その補佐をしたい人、何となく参加したい人。

子どもの頃、よくある事だと思う。

自分の力量や、向き不向きはわからない。

でも「やりたいならやらせてやろう」

という気持ちでそのグループは成り立つ。

 

でも、大人になり、社会人になると、成果を求められるようになる。

(努力さえしているように見えれば、それでOKな仕事もあるのかもしれないけど)

 

リーダーが向いている人、補佐が向いている人、盛り上げるのが上手い人。

簡単に書くと、一般的に、成果を上げ、出世していくのはこういう人だと思う。

 

こういう人はどんな人なのだろう。

やっぱり元々の性格が重要なのか。

 

人を使うということは、自分を使うということ

人にあまり任せることなく、自分の力を多く使う人もいる。

でも、人に何かを任せることで全体の動きがスムーズになり、その人同士の関係も良好になるという状況は、その周りの意識も高めていく効果があると思う。

 

自分の手足だから、言いたいように命令して、やりたいように振る舞えばいい。

というよりは、ウソもつかず、下手に持ち上げもせず、この仕事をいいものにしたい。という気持ちでいられれば、自然と自分を使ってみんなで進んでいけるんじゃないかな。

 

まあ、それでも失敗しそうなら、自分で頑張ればいいことであって。笑

 

パラリンピック、記録よりもっと大事だと思うこと

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今まで何人かの障害者に会ってきた。

身体だったり、知的だったり、精神だったり、発達だったり。

そして人によっては、自分の障害を隠そうとしていた。

障害を持っているかどうか」よりも、それによってどう見られるかが多くの障害者の悩みなんだろうと思った。

 
今の日本は、事故や災害さえ起きなければ、日本で普通に生活していく上では、誰かに頼らないと生きていけない障害者って少ないと思う。
 
でもその体形や仕草を、自分の人生で見たことのなかった人には、驚きだったり、恐怖だったり、滑稽さだったりするんだろう。
そしてそれが障害者である自分に伝わってくることが、怖いんじゃないだろうか。
 

変わり始めるきっかけ

車いすをよく見かけるようになった地域では、車いすに乗る人が当たり前になりつつある。
 
そして今ではパラリンピックという、普通の生活の姿ではないにせよ、多くの人に知ってもらえる大きな機会がある。
 
パラリンピックって必要かな?と思ったときもあるけど、こんな人が身近にいるってことが自然に思えるいい機会だと思えてきた。
 
障害者自身も、弱気にも強気にならなくても、穏やかに暮らしていける人が増えていくような気がする。
 
あとはNHK以外の民放でも、障害者の本来の姿を見せられるようになってきたら、より自然に生活していけるんじゃないかな。

夜に書いたような手紙を送ってくる人

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手紙ってどういうときに書くだろうか

会うと言えない事だったりを書こうとするんだけど、書いてるうちにどんどん「自分が言いたいことだらけ」になっちゃうんだよね。

 

自分がこれまで生きてきた中で、ラブレター以外の手紙をくれた人が二人いるんだけど、困ったことに二人とも、「勝手な想像と自分の考え」を押しつけてくる。

あながち間違ってない。って言うならまだしも、全然合っていない。

 

これがまさに、伝えるツールとして「手紙」を使った理由だと思うんだけど、普段接しているときに考えが通じ合っていないんだよね。または話していてもこちらが納得しているように見えないから手紙を書く。

話し合うのを諦めて、手紙で一方的に伝えようとする。

 

何かを伝えるときには対象を広げてみる 

タイトルは忘れたけど、確か「コピーの書き方」みたいな本に、商品のコピーを書くとき「自分と○○」な世界に陥りやすいけど、「父と○○」とか、祖母、娘、いつものあの人とかを当てはめて考えてみるといいって書いてあった。

自分以外は、視点や受け取り方が違う。相手が見たとき、その人はどう思うか。って結構大事だと思う。

 

まあ、今どき手紙を書く人って滅多にいないだろうけど、LINEは相手が返す場所がすでに見えてるからあまり暴走することはナイとして、メールはこういうことあり得るかもしれない。

 

特に色んな事に目がいかない夜に、メッセージを書くと、大変斜めな内容になることが多い。

昔から、夜には考え事をしたり、手紙を書いたりするな。って言い伝えがある。

あったと思う。

しっかり投票率を上げていくには

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議員になってからどうするの?

マニフェストって名前が数年前に流行ったことがある。

もちろん公約を表明したものなんだろうけど、そこに「政治を変えよう」ってだけで内容がなかったり、党批判だけだったりする場合があるとする。

もしその立候補者が当選して、思ったより何もしてないっぽいと思っても、元々の公約が漠然としていたら「守ってくれなかった」ってことにはなかなかなりにくい。

「政治はこう変わりました」とかなら誰でも言えるし、今までの政策に似ていたとしても、少し変わっているところを見つけて言い訳なんて簡単にできる。

もちろん、議員になってみないとわからない部分もあるだろうけど「この人に投票したのになんかわかんないけど、こんなはずじゃなかったよね」ってなると推していても嬉しくないよね。

 

これが投票率の低下の一つ?

投票率の低下の一つに、ハッキリした公約をちゃんと実現して、課程や結果をちゃんと示す人がいないから。ってこともあると思う。

どうせ誰に入れても。って思わせてしまうのは、頑張ってる議員さんでもそのアピールが足りないのかもしれない。

 

あと、いつも思うのが、選挙推進委員会の仕事

選挙がある度に、毎回TVなどでその委員会の活動が報じられる。

選挙権がある人に投票を促すのは、まあいいとしても、投票率を上げたいのなら、もっと根本的なことを考えないといけないと思う。

今までずっと「投票に行かない人たち」の尻を叩いているだけで、なぜ行かないんだろうということはあまり考えてないように思う。

 

議員さんが日々、どんなことを仕事としているのか

どういう仕事をしたのか。

どんな成果を上げたのか。

こういう普通の会社員が上司に報告するように、もしくは自らアピールするように求めていった方がいいんじゃないのか。

 

もしかしたら、そうすることによって「こういうことを議員さんに求めていけばいいんだな」とか、「これを実現してもらうためにこういう協力をしよう」とかいう人も出てくるかもしれない。

 

まあ要するに、議員さんもプレゼンするといいことあるよ。ということで。

理解してるつもりだった大人

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日々、イジメや虐待などのニュースが絶えない。そういう時に周りの大人のフォローが問題視されるときがある。

 
子どもを理解したいのなら、一つや二つ子どもと同じことを体験すればいいと思うんだけど、「理解してるつもり」になってないだろうか。
 
例えばLINE一つでも、今の大人は子ども時代になかったもの。
LINEにはクラスや部活動でのグループなんてのがあって、それによる楽しさや、興奮、嫉妬、疎外感、イジメまでを多少想像は出来ても、体感はしようがない。
 
 
「自分は理解している」という大人は、身近にいる子どもが持っている携帯の画面を見たことがあるだろうか。
そこに入っているゲームやアプリを見たことがあるだろうか。
そしてそれと同じゲームやアプリを自分の携帯にも入れてみたことはあるだろうか。
 
そうすることで、何か共通点も見つかるかもしれない。
このゲームのこんなところに興味がある。どんな時間にこんなのを見てる。など、小さいことなら何か見つかるはず。
 
少しも子どもの気持ちを知る工夫もせず、「自分が子どもの頃はこうだった」といった程度の理解で、いま生きている子どものフォローが出来るのだろうか。
 
 
もちろん、理解したくもない、そんな関係の職業に就いていない。という人はこんな工夫を考えることすらしないだろう。
「それはその子どもも悪い」とただ簡単に思うだけかもしれない。
 
でもそんな人ばかりになっていったらどうなるだろう。
「それはその老人も悪い」と簡単に考えられる世の中になりやすいかもしれない。
 
「この人が悪い」というのは誰でも言える。
でもそれを言ったところで、何も解決しない。
そして何も生まれない。