何でもない日だけど、それでもいい

欠損男子の思うところ

写真素材のピクスタ

何のために歩くのか。

朝の通勤の時に、足を少し引きずって歩いていたおばちゃんがいた。

同じ方向だったため、追いつき追い越そうとするときに、ふいに自分に「駐車場が遠い」って言ってきた。

知らない人だったのと突然だったのとで、ちょっと笑いながら一言二言返したけど、どうすることも出来ない。

 

たまにスクーターくらいの、小さい4輪電動車みたいなのに乗ってる人も見かける。

 

何のために歩くのか。

以前これをどこかで聞いた。

「歩かなきゃ生きていけない。でも必要に迫られて歩き続けたら少し楽に歩けるようになった」

実際これで鍛えられたりする人もいれば、もっと悪くなる人もいるかもしれない。

でももし「つらいけど歩かなきゃいけない」って考えから、「ここに来ると楽しいことがある」って変わることが出来たらいいよね。

 

教えられること、教えられないこと。

今やってる仕事はどんどん飽きていって、次のステージにどんどん上がっていくべきだ。
そうしないと、下がいつまでも上がって来れない。

結局、年功序列とか、何年も修行しないと獲得できないとかって、上司が仕事出来ないからで、ただ出来る部下の追い越しを邪魔しているだけに過ぎない。

そう思われたくないなら、頑張れば出来そうな部下にさっさと仕事を譲るべき。
例え部下に自分はさぼってる?って思われてもだ。

そして上司は日頃から、より高いところを目指すべき。
そうすればもっと広い視野で仕事を見ることが出来るはず。

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自分が慣れた仕事をやり続けていたいから。
部下にさせると、きっと自分には満足できない結果になるから。
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それは慣れたんじゃない。それ以上上達しないのか飽きたのかだ。
満足できない結果になるのは、教え方が下手なんだ。

結局、そんな理由で教えないでいると、いつか後悔するときがやってくる。
あぁ、暇なときに教えておけば良かった……と。

教えても結果できなければ、上達していかなければ、適材適所じゃなかったんだなと、諦めればいいけど、とりあえずチャンスはあげといた方がいい。

いいことも悪いことも、いつか自分に返ってくる。

まあ、教えることが出来ない人は、相手のせいにして言い訳して終わるんだけどね。

自分が終わってることは、誰も教えてくれない。

頑張るのって辛いこと?

頑張らない○○って、結構なんでも当てはまる。
介護だったり、仕事だったり、家事だったり、育児(教育)だったり。

でもその頑張りたくないことって、「ホントに自分が目指してたことなのか?」と疑問に思う。

人にさせられてる、みんながやってる、周りが見ている。
こんなことが目指しているものに重なってるなら、そりゃ辛いだろう。

もっとその頑張るということを考えてみてはどうだろうか。

自分の好きなことに変えることに頑張ればいいんじゃないか。
それは多分、苦しい頑張りではなくて、頑張りたいものに変わっていくと思う。

頑張るということは、きっと楽しいことなんだ。

誰もがみんな裸の王様

みんなはそれぞれ色んな経験をしながら生きている。

良かったこと悪かったことを大なり小なりはあっても、それぞれ経験しながら大人になっていく。
 
そしていつしか、人は自分というものを作り上げていく。
自分はこうあるべき、自分はこうしていきたい、自分はこうならないぞ、と。
 
それは他人からは見えていない過程で作られる。内なる感情なんてものはなおさらわかりようがない。
そしてこの”作られた自分”は全ての人に賛同を得られるわけではない。
時には正面から、時には裏でひっそりと、ダメ出しをされる。
 
まだ正面からなら、もしかしたら自分でも理解し間違っているところは直せるかもしれない。
でも裏でひっそりと言われている(思われている)なら、その相手の対応か表情または他の誰かの告げ口でしか知ることはない。
 
これを考え始めると、せっかく作り上げた自分というものを自分の手で消してしまうこともあるかもしれない。
自分の中に作り上げた”王様”を殺してしまいかねない。
 
誰もがみんな裸の王様だ。
本当はどう見られているのかはわからない。
 
ただ、それを周りから言われるのが怖いのは、自分が完全な存在であると思っているからではないだろうか。

成果はどこへ消えた

「努力はちゃんと実を結ぶはず」という考えを持っている人は多いと思う。

汗水垂らして頑張っている人には「あの人、がんばってるよな」と無意識に思ってしまい、応援と期待を持ってしまうこともあると思う。

逆に主観的に見て、成果を簡単に出した人については、褒めたたえるどころか「何かズルをしたんじゃないか?」と疑うことさえする人もいる。


客観的に見ると、努力は他人にとってはその力を測りにくく、反対に、成果はわかりやすい。

でも「努力」を見せつけられたとき、多くの人は成果を二の次にしてしまうのではないだろうか。

見られてる側も、努力さえしていれば大丈夫だ。という盲信をしてしまうと、努力しているように見せてしまえば楽だ。と思ってしまうのではないか。

努力と言っても、ただ同じことを辛抱して続けていることと思い込んでいるだけでは、いつまで経っても成果は見えてこないだろう。

成果が出なく困ったら、まずは今の自分が思っている努力を見直そう。

ETCカ−ド更新に伴う手続き

「身障者は有料道路の割引が受けられるが、2年ごとに更新をしなければならない。」 

1年ほど前まではETCを持っていなかったため、更新の度に役所に出向いて障害者手帳の後ろ部分にスタンプを押してもらう必要があった。 

でもETCの場合はこの更新時期以外に、ETCカ−ドの有効期限が絡んでくる。 

ググっても健常者向けの「ETCカ−ドの有効期限について」と、障害者向けの「更新について」がごちゃごちゃしていて、結局どうすればいいんだよ?状態。 

なんせちゃんと更新できていなかったら、ETCバ−に激突である。 
いや、徐行しておそるおそる通るよりは素直に〈一般出口〉に向かうだろう。

とまあこの問題、結論から言うと、「わからない」である。 
登録手続きをした時に、ロボットみたいに喋っていた説明をちゃんと書き留めていれば...
まあどこかに当時の書類はあるんだろうけど、今はまだ探す気にはなれない。

さて、次に有料道路を使うのが楽しみだ。 


※このエントリ−は、親指シフトだけで練習がてら打っています。 
時間計ればよかった...


追記。
後日、クレジットカードの請求で確認したところ、割引されてました。
なので、ETCカードの有効期限切れ(カード番号などは不変)による更新の場合は、特に手続きはいらないみたいです。

新しい物を探さなくても見つかるかもしれない新しいこと

ふとあるところに「ヘアカラー専門店」てのを見つけた。
髪を染めるのって、みんな美容室か自宅かだと思ってたけど、なぜ専門店なんだろう。

値段は部分染めの1620円から、一番高い全体染めでも2980円。
ブローは客がするらしい。
ウリは、やっぱり低価格なんだろう。
早さや色のバリエーションもあるのかもしれない。
そしてこの店は美容室あるある的な、ガラス張りの店舗じゃない。

これとよく似た業態で、ちょい昔から理容室でも洗髪や顔そりをしないから安い。という店が出てきて今ではいろんな店が競争してる感じ。
こう見るとヘアカラーだけしたいっていう需要もあるのかもしれない。

反面、美容師の資格とかはどうなっていくんだろう……とも思うけど。

この「今までの店のメニューから抜き出せる物を単独販売する」って手法は、まだまだ他にも出来る物がありそう。

まあ何にしろ、こういうことでメニューの単価が安くなっていくのはいいことだ。
うん。