何でもない日だけど、それでもいい

欠損男子の思うところ

写真素材のピクスタ

理解してるつもりだった大人

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日々、イジメや虐待などのニュースが絶えない。そういう時に周りの大人のフォローが問題視されるときがある。

 
子どもを理解したいのなら、一つや二つ子どもと同じことを体験すればいいと思うんだけど、「理解してるつもり」になってないだろうか。
 
例えばLINE一つでも、今の大人は子ども時代になかったもの。
LINEにはクラスや部活動でのグループなんてのがあって、それによる楽しさや、興奮、嫉妬、疎外感、イジメまでを多少想像は出来ても、体感はしようがない。
 
 
「自分は理解している」という大人は、身近にいる子どもが持っている携帯の画面を見たことがあるだろうか。
そこに入っているゲームやアプリを見たことがあるだろうか。
そしてそれと同じゲームやアプリを自分の携帯にも入れてみたことはあるだろうか。
 
そうすることで、何か共通点も見つかるかもしれない。
このゲームのこんなところに興味がある。どんな時間にこんなのを見てる。など、小さいことなら何か見つかるはず。
 
少しも子どもの気持ちを知る工夫もせず、「自分が子どもの頃はこうだった」といった程度の理解で、いま生きている子どものフォローが出来るのだろうか。
 
 
もちろん、理解したくもない、そんな関係の職業に就いていない。という人はこんな工夫を考えることすらしないだろう。
「それはその子どもも悪い」とただ簡単に思うだけかもしれない。
 
でもそんな人ばかりになっていったらどうなるだろう。
「それはその老人も悪い」と簡単に考えられる世の中になりやすいかもしれない。
 
「この人が悪い」というのは誰でも言える。
でもそれを言ったところで、何も解決しない。
そして何も生まれない。