何かで知った代受苦という言葉
[代受苦だいじゅく]:他人に変わって苦しみを受けること。菩薩の大慈悲心についていう。「仏教大辞典」より。
こういう言葉は、なぜ生まれたんだろう。
”魂”とかそういう観点かな?
この悲しい出来事は、この苦しみは、誰かが受ける苦しみだったんだ。
こういう言葉がある。
悲しみを分かち合いたい。
その悲しみを私にもわけて。
そうすれば少しは楽になるかも。
実際はそうなるかもしれない。
それを自己満足だと受け取るか、心の底から楽になるのか。
でもこれはきっとその人その人の人生経験だから、人の数ほど受け取り方は違うんだろうな。
それを「相手に知られずに」苦しみを代わって受けるということは、美学なのか、それとも本当にそれで他人が幸せになると思えるのか。
多分、答えは見つからないけど、信じる者は救われると言うことなのかもしれない。